予見されていた狂牛病発生


里見 宏

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  約3ヶ月前の、6月19日の朝日新聞に「欧州連合(EU)は日本が英国から狂牛病に感染した牛の骨粉を家畜の飼料用に輸入していた恐れがあり、潜伏期を考慮するとこれから狂牛病が発生するかもしれないと警告を流した。これに農水省が猛反発している」という記事が出ました。日本では狂牛病は発生しないという農水省の根拠は何だったのでしょうか。日本には平成7年に、骨粉はブロイラーなどに35万トン、豚に9万2千トン、乳牛・肉牛に247トン与えられたことになっている。しかし、この発表は正しかったのか。農水省の甘さを今回の千葉県での狂牛病の発生が証明しました。

狂牛病は発生しないのか?
 「狂牛病は大丈夫でしょうか」と真顔で聞かれます。マスコミの力はすごいものだと思います。明日は狂牛病に感染するかもしれないと恐れているのです。そういう私も10年前はそうでした。娘が卒業旅行にモロッコへ行くというので「ヒツジの脳味噌料理はたべない方がいいよ」といったら,帰ってきた娘が「本当に脳味噌を食べるんだよ。で,なんで食べないほうがいいの」と聞くのです。
 実はヒツジにはスクレピ−という病気があるのです。発病すると脳がスポンジ状になり,歩行ができなくなり死んでしまうのです。このヒツジの脳や眼球を料理してよく食べる人たちのあいだいに,ヒツジと同じように脳がスポンジ状になり亡くなる人がいるのです。うつる病気なのですが病原体はわかっていません。プリオンという蛋白質が関与しているのはわかっています。ヒツジの脳を食べなくても100万人に1人くらいの割合でこの病気は世界中で起きています。ヒツジの脳を食べる人たちは30倍くらい発症が高くなります。この病気をクロイッツフェルト・ヤコブ病(CJD)といいます。

クルという奇病
 もう一つよく似た病気で「クル」というのが50年ほど前にあったのです。あまり気持ちのいい話ではありませんが,ニュ−ギニア高地のフォア族の女性や子どもに奇妙な病気が流行っていました。だんだん歩けなくなり,震えが起こり,数か月で寝たきりになるのです。最後は顔の筋肉がコントロ−ルできなくなり笑ったような顔をしながら亡くなっていくのです。「クル」と呼ばれる奇病です。この奇病に関心を持ったのがD・カ−ルトン・ガジュ−セクでした。彼はこの病気がフォア族の食習慣にあることを発見し,その功績によって1976年,ノ−ベル医学賞をもらったのです。
 話を進めます。世界各地にある埋葬習慣ですが,亡くなった人は一時埋葬されるのですが,しばらくしたら墓から遺骨を掘出し,骨をきれいに洗って,もう一度埋葬し直すのです。フォア族では近親女性の仕事とされていました。
 1920年代,フォア族の女性は埋葬して2−3日後には死体を掘出し,肉を骨から削ぎ落とし,シダなどの葉で包で竹筒で煮て食べるようになったというのです。最愛の親族の身体の一部を食べてしまうという宗教的な習慣は所々にあるようですが,フォア族の女性たちは違う理由です。フォア族の男性は自分たちがとってきた獲物は自分たちだけで食べてしまい,女性や子どもにはほとんど与えなかったのです。しかたないので女性や子どもたちは植物やカエルや昆虫などから蛋白質を補っていました。当然生きていくのに必要な蛋白すら足りない状況に追込まれていたのです(人肉を食べる風習が禁止された後でも,フォレ族の女性は蛋白必要量の56%しか供給できていなかったと報告されています)。
 1920年代の女性たちはものすごい飢えに襲われていたのです。それまでなかった食人(カリバリズムという)を始めたのです。しかし,それから30年以上経って,彼女たちを奇妙な病気が襲ったのです。それが「クル」だったのです。解剖すると脳がスポンジ状になり萎縮していたのです。原因はこの病気を持っていた人を食べてうつったことから始まったと考えられます。1960年までにこの食習慣は禁止され,この病気は消えたのです。このクルはクロイッツフェルト・ヤコブ病とおなじ病原体とされています。そして,この奇病が,正に今問題になっている狂牛病と同じ仲間の病気だとされるのです。広がりのきっかけも草食動物の牛に濃厚飼料と称して,牛やヒツジの脳をミンチにして共食いさせるという共通点が浮び上がってきます。そのため多くの牛にこの病気がうつったのです。また,その牛を食べた人間にもうつっていったのです(表1参照)。

患者は若年化
 クロイッツフェルト・ヤコブ病は世界中で見つかる病気です。私が東京都から頼まれて難病患者の実態調査をしたことがありますが,そのとき都内に60歳代の患者が1人いました。この病気は50−60歳代になって起きる病気とされていました。
 ヒツジの脳を食べる以外に,よく判っているのは脳手術や角膜移植や人の脳下垂体から取りだした成長ホルモンなど医療の場での感染です。提供者がこの病原体を持っていたとされます。

 イギリスでは1986年に初の狂牛病(伝達性海綿状脳症)が見つかりますが,すでにそのときには多くの牛が感染を受けていました。原因は牛の餌になる濃厚飼料に脳や骨のミンチを混ぜたからです。1988年7月,イギリス政府は牛やヒツジ,ヤギを餌に混ぜることを禁止しました。しかし,それ以前に多くの感染が牛していましたから,感染の疑いのある牛が大量に処理されました。もっと大変なのは人間にうつっていないかということでした。
 そこで,狂牛病の流行後にクロイッツフェルト・ヤコブ病と診断された人たちに何か新しい変化が起きていないかという調査が1990年から始まりました。クロイッツフェルト・ヤコブ病と診断されて亡くなった人は207名いましたが,そのうちの10名は明らかにいままでのクロイッツフェルト・ヤコブ病と違う脳の病理学的所見があったのです。また,この新しい変化の一つに発病年齢の若年化がありました。この10人は16歳,18歳,19歳など10代から,最高39歳で平均年齢26.3歳という若い世代での発病でした。また,1人ベジタリアン(菜食主義者)の人がいたのですが1991年からで,それ前には牛肉を食べていました。この10人は狂牛病から病原体がうつったために発病したと考えられたのです。

ヨ−ロッパに広がる狂牛病。
 イギリスでは牛が大量に処分されました。しかし,表1のようにフランスやアイルランド,ポルトガルなど狂牛病は増える気配もあります。イギリスでは狂牛病が減っているのですが,01年になって12歳のライオンに2頭目の発病,これまでに猫85匹,チ−タ2頭,ピュ−マ3頭,オセロット3頭,トラ2頭が発病していると農務省が発表しました。他の動物への感染が拡大しているのです。これも餌からの感染が疑われるのです。この表1にない国でも狂牛病は見つかっています。オランダは13例,デンマ−クなどスカンジナビア諸国で4例,イタリアでも最初の発症例は94年でその後数例が報告されています。スペインでは00年11月に初の感染例が見つかり,その後7件が公表されています。あわてたスペイン当局は拡大を防ぐため00年12月から6週間をかけて3000ヵ所のチェックを行い,2000件を越える違反事例を摘発しました。うち10数例を刑事告発しました。内7件は逮捕者がでる悪質なもので,家畜の出生証明の偽造や骨粉を使った餌の使用,死体の放置などでした。こうした違反が汚染を広げることにつながります。

日本では
 厚生省は96年の4月,医薬品や化粧品から牛が原料となる成分について輸入制限などの対策をたてました。こんな物にまで使われていたの知ってましたか。(表2)
また,アメリカや日本ではイギリスに6ヵ月以上滞在したら献血できないことになっています。日赤の問診表にはクロイッツフェルト・ヤコブ病などといわれたり,血縁者に発病した人がいる人。人成長ホルモン,角膜移植,硬膜移植などの脳手術を受けた人は献血できなくなっています。狂牛病に感染しているかもしれないからです。これは万が一の万が一ということです。これだけやられれば恐ろしくもなろうというものです。もう十分に脅かされていますから,明日は自分がと心配している人は多いのでしょう。北海道でこれまでにメン羊に海綿状脳症が57頭見つかっています。新聞やテレビが流すかも知れません。でも大騒ぎしなくて大丈夫です。それから,日本でのクロイッツフェルト・ヤコブ病の患者の動きは1979−88年の10年間に男184人(解剖105人),女234人(解剖121人)で合計418人(解剖226人)と報告されています。厚生省が行った全国4千科(神経内科、精神科など)の調査に依れば1996年までにクロイッツフェルト・ヤコブ病と診断された人は832名で、牛からうつったと考えられる病変はなかったと報告しています。しかし、このなかには脳手術で使われたヒト乾燥硬膜の移殖が原因で発病した例が80件近く含まれ新しい薬害として問題になっています。これだけ物が動き狭くなった世界では日本だけが逃れられるというようなことはなくなったのです。簡単に狂牛病の情報をまとめました。



表1 狂牛病(牛海綿状脳症)の発生状況(資料:国際獣疫事務局)
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       1990以前   91-95    96    97   98   99   00  
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英国             24,449  135,206  8,075  4,370  3,217  2,294  1,807  
北アイルランド    146    1,521   74   23   18    7   14  
フランス         0       13   12    6   18     31    161  
アイルランド    29      86   73   80   83    91    145  
ポルトガル      1      31   29   30   106   170   142  
スイス         2     184   45   38   14   50   33  
ドイツ          0      4    0       2    0     0    7  
デンマ−ク     0       1    0      0    0      0    1  
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表2 牛由来の医薬品,その他の用途および抽出臓器
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アキョウ            漢方薬の配合成分(骨,皮膚)
アプロチニン          急性循環不全(肺,耳下腺)
インスリン           糖尿病(膵臓)
カゼイン            栄養剤(乳)
肝臓エキス           肝臓用剤(肝臓)
牛胆 胆汁エキス        利胆剤(胆嚢,胆汁)
グルカゴン           分泌機能検査(膵臓)
睾がん乾燥末          滋養強壮剤(睾がん)
ゴオウ             動物生薬(六神丸などに配合)(胆石)
コンドロイチン硫酸ナトリウム  関節痛などに(肩甲骨,軟骨)
心臓エキス           滋養強壮(心臓)
ステロイドなど         ステロイド剤(胆汁)
ゼラチン加水分解物       栄養剤(骨)
胎盤エキス           皮膚炎・膚あれ(胎盤)
唾液腺ホルモン         初期老人性白内症など(唾液腺)
チトクロ−ムC         脳梗塞など(心臓)
デオキシリボヌクレア−ゼ    壊死組織の除去(膵臓)
トロンビン           局所止血剤(血液)
トロンボプラスチン       局所止血剤(肺)
ヒアルロニダ−ゼ        浸潤麻酔の増強(睾丸)
副腎エキス           関節の疼痛,腫張の緩解(副腎)
プラスミン           繊維素溶解酵素(血液)
プロトポルフィリン       肝臓用剤(血液)
ペパリン            血栓塞栓症など(肺,腸粘膜)
幼牛血液抽出物         脳梗塞など(血液)
牛血液抽出物          脳梗塞など(血液)
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医療用具関係
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コラ−ゲン     吸収性縫合糸,コラ−ゲン注入材,創傷被覆保護材,手術部止血剤,歯科骨填材,歯科組織再生誘導材料,人工血管コ−ティング材
          
ゼラチン      人工血管コ−ティング材
心のう膜      生体人工心臓弁(牛,豚の材料から作られたものをいいます)
          生体パッチ(心臓・血管手術でもちいられる)
ペパリン誘導体   血管チュ−ブ(合成樹脂)へ使われる
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医薬部外品として
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エラスチン     靭帯
カゼイン      乳
血液除蛋白抽出物  血液
コラ−ゲン     皮膚,骨
ゼラチン      皮膚
胎盤エキス     胎盤
脳脂質       脳
ヘパリン      軟骨
ひ臓エキス     ひ臓
プロテオグリカン  結合組織
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化粧品関係
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エラスチン     靭帯
カゼイン      乳
牛脂        脂肪
胸腺抽出エキス   胸腺
血清アルブミン   血液
ケラチン      皮膚,骨
ゴオウ       胆石
骨髄油       骨髄
プロテオデルミン  結合組織
血液除蛋白抽出物  血液
コラ−ゲン類    皮膚,骨
ゼラチン      皮膚
胎盤エキス     胎盤
脳脂質       脳
ひ臓エキス     ひ臓
ペンタグリカン   眼
ムコ多糖類     胃
ラクトフェリン   乳
コンドロイチン硫酸ナトリウム  軟骨
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表3  日本でのクロイッツフェルト・ヤコブ病の推移

 年                      合計  
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1989年 男(解剖16人)  女(解剖19)  35  
1990  男(解剖10人)  女(解剖11)  21  
1991  男(解剖8人)   女(解剖13)  21  
1992  男(解剖10人)  女(解剖20)  30  
1993  男(解剖8人)   女(解剖10)  18  
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1979−88年の10年間に男184人(解剖105人),女234人(解剖121人)で合計418人(解剖226人)


注:このイギリスの報告には人成長ホルモンの注射で感染したと考えられるクロイッツフェルト・ヤコブ病患者11人(平均年齢27.5歳)についても報告があり,病理学的には旧方のクロイッツフェルト・ヤコブ病で新しい変異したクロイッツフェルト・ヤコブ病とは違うと報告されています。
  

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