「雪印」食中毒事件
〜これまでに発覚した雪印のさまざまな「隠し事」のまとめ〜
編集部
雪印低脂肪乳などによる黄色ブドウ球菌食中毒では、約1万5千人の人(8/25現在)が倒れる、という大きな被害が出ています。発生からすでに2ヶ月以上経過していますが、原因究明のための捜査の過程で次々と、雪印の衛生管理における問題やずさんな管理体制、情報隠ぺい工作とも思われる対応など、さまざま問題点が浮上し続けています。
雪印は今回の事故に関して「厚生委員会の事情聴取に臨むスタンス」「推定する事故原因」「今後の改善の在り方」の項目から成る総括文書を作成し、7月16日付けで厚生省に提出しています。この中で、「原因究明については、、検査当局に全面的に協力」、「消費者を最優先する経営を徹底する」、「情報の開示を含め、開かれた透明性の高い企業に変革を図る」などと謳っていますが、一方で、この文書が作成された後でも、検査への非協力的な態度、消費者を再度危険にさらすような商品の製造販売、情報隠ぺい、などを続けているのが実態であり、いい加減で不透明な体制は何ら変わっていないようです。
今回の食中毒事故のこれまでに判明した経緯に沿って、こうした雪印の問題点を検証してみます。
■大樹工場で脱脂粉乳を製造
まず、食中毒の直接原因になったと考えられる脱脂粉乳が、4月1日に北海道の雪印大樹工場で製造されます。大樹工場では、これに先立つ3月31日に3時間の停電が起こっており、加温状態が続いたタンク内で毒素が発生したとされます。その後の調査で、大樹工場には停電などのトラブルに対処するためのマニュアルがなかったことが明らかになっています。停電後、再開準備のために脱脂乳の分離器の洗浄作業を行いましたが、その際に、毒素を含んだ材料約1トンが洗浄用の水とともに脱脂乳タンクに送られ、製造ラインに入り込む結果になりました。雪印は、「本来(ライン外に)排出されるべきものだが、停電時の混乱の中で操作ミスがあった」と説明しています。
当時、雪印で製品を検査したところ、半数近くは一般細菌数が内部規定を上回っていることがわかりましたが、厚生省令の基準を下回っていたため、「再利用後に再び殺菌されるので問題ない」と判断し、4月10日の製品の原料として再利用しました。繁殖した黄色ブドウ球菌から生成される毒素エンテロトキシンが加熱殺菌しても残ることについて、雪印支社長は「現場では必ずしも承知していなかった」と述べ、危険性の認識が欠如していたことを認めています。一般細菌数が内部基準以下だった製品は、そのまま流通経路に回され、この一部が8月12日に茅野工場に納入(後述)されました。
■ 原因がわからない理由
しかし、これらの事実が明らかになったのは食中毒発生から2ヶ月も後のことでした。捜査が大樹工場の脱脂粉乳にたどりつくのを阻んでしまう要素が重なり、捜査の進展を遅らせたのです。
遅れの原因のひとつが、雪印の記録のずさんさです。大阪市保健所は食中毒発生直後の6月28日の大坂工場立ち入り検査で、問題の低脂肪乳の調合記録を確認しました。6月23〜25日の製品調合記録には、原材料の脱脂粉乳の製造元として、大樹工場の記載は全くなく、別の工場の製品と記載されていました。しかし、当てはまる製造番号の脱脂粉乳は当該工場から大阪工場に納入されておらず、工場関係者も「どこから納入されたのか、よく分からない」などあいまいな回答を繰返すのみ。そして記録にないため、大樹工場は調査対象に上りませんでした。ようやく8月19日になって大阪工場の製品調合記録そのものがいい加減で欠陥があったことが判明。8月25日に雪印が、「当時の担当者が大樹工場製の記号を誤記していた」と説明しました。義務づけられた製造記録の管理がいい加減だったことなどが、捜査を混乱させ、事実解明のさらなる遅滞を招いたようです。
7月12日以降、厚生省が全国の雪印牛乳製造工場に立ち入り調査を実施していましたが、主にチーズを製造する大樹工場は牛乳を製造していないため、調査対象になっていませんでした。また、北海道食品衛生課でも7月に大樹工場の衛生管理状態を検査していましたが、菌の検査のみで毒素の検査はせず、「問題なし」との検査結果を出していました。
ようやく7月末になって大阪府警が、大樹工場の脱脂粉乳が大阪工場に入荷されていたことを、配送伝票を手がかりに突き止めました。8月4日に捜査員数人が大樹工場に出向き、脱脂粉乳のサンプルを押収。大阪府立公衆衛生研究所に鑑定を依頼したところ、8月18日にエンテロトキシン毒素を検出したことが判明。さらに8月19・20日に北海道が大樹工場へ立ち入り調査を行い、3月31日に停電が起きていたことが、8月23日になってようやく明らかにされたのです。
雪印が食中毒の第一報として6月30日付けで出した文書には、「6月28日夜、弊社分析センターに当製品保存サンプルと原材料、並びにお客様より回収した当該製品を搬送。6月29日未明より、弊社分析センターにて直ちに検査に着手致しました」と記されています。食中毒事故発生直後に、原材料のひとつであった脱脂粉乳(ただし製造日付は不明)も雪印の分析センターで検査されていた、ということです。
しかし検査の結果、「原材料のうち脱脂粉乳、バターは弊社検査結果から判断し、直接原因とは考えられない」と、厚生省に提出された文書(7月16日付の「総括文書」)に明記しています。このときなぜ脱脂粉乳の毒素汚染を検出できなかったのか、疑問が残ります。雪印の分析センターの能力でこれを突き止められないはずがないからです。現に、雪印は7月7日、「苦情があった大阪工場製造の発酵乳2検体からエンテロトキシン毒素が検出」と発表しており、自社分析センターの検査でエンテロトキシン毒素の検出能力があることを示しています。
■黄色ブドウ球菌がバルブに、洗浄不備などが発覚。
6月30日、和歌山市衛生研究所が患者の飲み残し品から黄色ブドウ球菌毒素遺伝子を検出したと発表。
7月1日、雪印は「バルブ内から黄色ブドウ球菌を確認」と発表。バルブの洗浄は、3週間行われていなかったことも判明。(しかし7月9日、大阪市環境科学研究所が問題のバルブから分離した菌を精査し、黄色ブドウ球菌ではないことが判明。)
2日、大阪府警が大阪工場を現場検証。大阪府公衆衛生研究所が黄色ブドウ球菌の毒素を検出。大阪市は同工場に無期限営業禁止処分。4日、雪印が大阪工場製の全商品を回収へ。
■ 返品乳飲料の再利用、屋外での調合作業、その他の工場でも不備発覚。
7月5日 被害者が1万人超える。
7月6日 石川前社長が引責辞任を表明。
7月7日 雪印、大阪工場製造の乳飲料2検体からエンテロトキシン毒素を検出。
7月10日 乳飲料2種類からエンテロトキシン毒素が検出。同一の調合室を使用していた加工乳1種類、乳飲料3種類、はっ酵乳3種類についても回収命令措置。大阪工場による返品乳飲料の再利用、屋外での調合作業が判明。
■工場の操業停止・調査・安全宣言へ
7月11日、雪印は20工場の操業停止を発表。その後7月18〜23日の期間に、自社20施設について自主点検後の第三者機関による検証を実施しました。数日遅れで厚生省も7月19〜23日に10施設、7月27〜31日に10施設の現地調査を実施。
厚生省は各工場の調査を行った上で、7月25日に10工場(青森、野田、厚木、京都、広島、福岡、神戸、名古屋、東京、札幌)、8月2日に残る10工場花巻、仙台、日野、新潟、北陸、静岡、愛知、倉敷、高松、都城)について安全宣言を出しましたが、それにもかかわらず8月23日には大樹工場の脱脂粉乳汚染という新たな事実が明るみにでました。8月30日には茅野工場で製造された製品でさらなる食中毒事故が起きていたことが判明。ただし、厚生省では「安全宣言」の見直しは考えていません。雪印に対し、乳製品の製造途中と最終製品で毒素検査をするよう事実上義務づけており、かりに毒素を含んだ原料が紛れ込んでも、検出できる態勢にあるから、としています。
■ さらに茅野工場で汚染脱脂粉乳を使用
8月4日 大樹工場製の脱脂粉乳サンプルを大阪府警が押収。大阪府立公衆衛生研究所に鑑定を依頼。
8月11・12・14日 大阪府警が大樹工場を調査。
8月12日 雪印は4月1日製造の脱脂粉乳360袋を茅野工場に納入。
8月14・15日 茅野工場、納入された脱脂粉乳の一部を乳飲料や発酵乳の製造に使用。
8月15日 雪印乳業本社から茅野工場に「大樹工場の脱脂粉乳は使わず返品を」と指示。
8月18日 大樹工場製(4月10製造)の脱脂粉乳からエンテロトキシン毒素が検出。
8月19・20日 北海道庁が大樹工場に立ち入り調査。
8月23日 北海道が大樹工場の停電が原因と発表。4月1日製造の脱脂粉乳からも毒素が検出されたことを発表。茅野工場が、大樹工場製の脱脂粉乳を原料にした製品の自主回収を決定。
大樹工場では4月1日、25kg入り830袋分(実際には約900袋分だったことが8月29日に発覚)の脱脂粉乳が製造されました。この脱脂粉乳には、前日の停電事故で繁殖した黄色ブドウ球菌の毒素エンテロトキシンが含まれていたことがその後の調査で分かっています。しかし、当時の検査で一般細菌数が内部基準以下だった450袋は、そのまま流通経路に回されました。このうち360袋が八ケ岳雪印牛乳茅野工場に出荷されたのです。
一方、一般細菌数が内部基準を上回った380袋は、規格外品として4月10日製造分の脱脂粉乳の原料の一部として再利用され、新たに750袋(実際には820袋製造され、70袋が品質保持期限を書き換えられ7月12日製造分として帯広に保管されていたことが8月29日になって発覚)の脱脂粉乳が作られました。これらが大阪工場などに出荷され、低脂肪乳や乳飲料の原料として使われ、集団食中毒を引き起こしたのです。
大阪府警が大樹工場の本格的な調査に入ったのは8月11・12・14日。しかしこの間に、4月1日製造の脱脂粉乳360袋が茅野工場に納入されていました。大阪府警が調査に入ったことで、雪印側も大樹工場製の脱脂粉乳が危ないかもしれないと感じ、15日に「大樹工場が4月1日に製造した脱脂粉乳は使わずに返品しろ」と茅野工場に指示。しかしこの時、茅野工場ではすでに62袋分を製品加工に使ってしまった後でした。そして、これらの危険性のある脱脂粉乳を使った乳製品については、その後23日に茅野工場が製品の自主回収を始めるまで8日間もの間、何ら手を打たれず市場に出回っていたのです。返品指示を出した際に、本社側は「脱脂粉乳に汚染の危険性があるから」などといった詳しい理由を工場側に伝えておらず、このため茅野工場では「この間に製造した製品に危険性があるかもしれない」という認識がありませんでした。こうした対応のいい加減さと遅れにより、また新たな食中毒が発生しました。
■ 茅野工場製品でさらに食中毒発生
茅野工場で危険性のある脱脂粉乳を使いながら、その製品を1週間以上も市場に放置していたことが報じられた後の調査で、茅野工場で8月15日に製造されたヨーグルトからエンテロトキシン毒素が検出されたことが8月30日に明らかになりました。そして、この茅野工場製品を食べたり飲んだりした長野、山梨県内の6人が下痢やおう吐などの症状を同社に訴えていたことも8月30日に明らかになりました。
■品質保持期限の改ざん
さらに、大樹工場では、製造した脱脂粉乳の未出荷分の一部を帳簿に記載せずに保管し、製造量が不足した時に品質保持期限を書き換えて出荷するということが恒常的に行われていたことも明らかになりました。
大樹工場の4月1日製造の脱脂粉乳の数量について、当初雪印は830袋と公表してきました。しかし、実際には約900袋だったことが8月29に判明。余剰の約70袋は、さらに4月10日製造分の原料として再利用されていたようです。4月10日製造の脱脂粉乳についても、雪印は750袋と公表してきましたが、実際にはこれより70袋多い820袋が製造され、この70袋を含む216袋の脱脂粉乳が、実際の製造日よりも3ヶ月以上も遅い7月12日製造分として倉庫に保管されていたことが、8月29日明らかになりました。脱脂粉乳の安定供給、製品不足時の対応などのために、常時余剰生産があった際には、帳簿(製造記録)に載せずに保管していたようです。4月10日に製造されてすぐに保管され、予定の製造量が達成できなかった7月12日の製品等と合わせ、同日に製造されたものとして出荷されていました。出荷の際は、通常は機械で自動的に押印される品質保持期限の日付を、社員が手で押印していました。(余剰ストック製品は、袋に品質保持期限が印字されていないため、実際にいつ製造したものなのか社員も分からない。)
その後も、8月31日に帯広市内の倉庫で45袋(20検体から毒素検出)、大阪市内の倉庫でも15袋の品質保持期限が改ざんされた脱脂粉乳が見つかっています。
こうした恒常的な品質保持期限改ざんの実態について、大樹工場側は、道などの調査の際にも一切明らかにしていませんでした。
さらに、4月1日製造分に関して、帳簿に記録されていたより多くの製品がつくられていたことを、雪印側が大阪府警から指摘される前につかんでいたことも8月31日に明らかになっています。8月18日の大樹工場製の脱脂粉乳からの毒素検出発表を受けて、雪印では翌日から本社、支社の専門スタッフが同工場で原因調査を開始。製造ラインの従業員から詳しい聞き取り調査と書類調査、在庫の調査をした結果、数日後には、4月1日につくられた脱脂粉乳のサンプルが、帳簿の830袋よりも多い約900袋分保管されていること確認していました。しかし、雪印は8月29日の記者会見で「(不一致は)大阪府警の指摘がきっかけで、わかった」という説明をしていた上、この事実を北海道帯広保健所には一切報告していませんでした。
■ 停電の事実を隠し、大阪府警に虚偽報告
大坂府警は、8月4日の大樹工場立ち入り調査の際に、製造過程でのトラブルの有無を尋ねていますが、工場幹部らは「製造工程で特段のトラブルはなかった」と説明し、3月31日の停電については全く触れていなかったことが、8月25日になって判明しました。停電があった事実は、雪印本社や北海道支社にも8月19日に毒素検出が発表されるまで報告されておらず、意図的な「停電隠し」も疑われています。
追記:
ニュースレターを印刷中に、新しい情報が入りましたので追加します。
雪印が行った検査で、なぜ脱脂粉乳の汚染を検出できなかったのか、疑問が残っていましたが、これに関して9月7日付の産経新聞に、「雪印ではすでに7月末に大樹工場の脱脂粉乳から毒素を検出していたが、その事実を公表せず隠していた」、という内容の記事が出ました。概要を掲載します。
『雪印の分析センターは、食中毒発覚直後の7月初め、大阪工場で使った原料の汚染を疑い、製造元の5工場から脱脂粉乳を取り寄せて検査を実施。7月末には高性能の毒素検査機を導入し、改めて同じ脱脂粉乳を検査したところ、大樹工場4月10日製造の脱脂粉乳で毒素に対し陽性の反応が出たため、検査結果を大阪府警に連絡した。しかし事実の公表は見送り、すでに出回っていた問題の脱脂粉乳についても、大阪市の発表(8月18日)まで回収しなかった。
これについて、雪印では独自に検査を行ったことは認めているが、「検査結果は府警に連絡しているので、毒素が出たかどうかはいえない。大樹工場で同じ日に製造された脱脂粉乳は大阪工場などで使い切っており、製品が出回ることはなかったため、あえて公表の必要はないと考えている」と説明している。』
しかし,翌日の9月8日、産経新聞はこの記事について、雪印が独自検査ですでに7月末には大樹工場製の脱脂粉乳から毒素を検出していたかのように報道したが、実際に雪印が検査を行ったのは「8月18日に大阪市が毒素検出を発表した後で、記事の根幹である検査時期に誤りがあった」として、訂正謝罪記事を出しました。
編集部コメント:
訂正記事を読むと、8月18日以前には雪印の独自検査は行われていない、とも受けとれます。しかし実際には、雪印は食中毒発生直後の6月29日から、食中毒を起こした製品と保存サンプルおよび原材料を自社の分析センターで分析しており,7月7日には「のむヨ−グルト毎日骨太」からエンテロトキシン毒素を検出したと発表しています。
このとき原材料の脱脂粉乳も検査対象になっていましたが、雪印は7月16日に「原材料のうち脱脂粉乳、バタ−は弊社検査結果から直接原因とは考えられない」と厚生省に報告しています。
雪印がこの最初の自社分析センターでの検査結果をきちんと公開していないことから、いろいろな混乱が起きているようです。雪印は「情報の開示を含め、開かれた透明性の高い企業に変革を図る」(7月16日付厚生省への提出文書より)などとしていますが、実際にはその姿勢は全く変わっていません。
こうした問題点を中心に、引き続きこの問題を追いかけてみます。