社会医学から見たフッ素による虫歯予防の限界

里見 宏


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 昨年秋、佐賀県に出かけた。佐賀県では三歳児の虫歯本数全国ワーストワンの汚名を返上するため、虫歯予防にフッ素を使う乳幼児や幼稚園・保育所に、費用の三分の二を三年間補助することが決まった。反対する父母や教員の勉強会に参加するためだった。

虫歯ゼロ作戦の誤り

 表1のように佐賀県は虫歯そのもは減ってきているが、一九九一年から七年間、三歳児の虫歯本数が全国トップだという。そこで九八年から「すこやかさがっ子虫歯ゼロ作戦」(注1)が始まり、九九年「乳幼児歯科保健緊急対策事業」として経費の助成が始まった。三歳児以下はフッ素塗布、それ以上はフッ素洗口を行なうという。世界の流れはフッ素による虫歯予防への見直しが始まっているにもかかわらず、フッ素に飛びつき、市民からの安全性への疑問がでても、いったん知事がつけた予算が宙に浮くのは困ると予算消化を第一とする行政の動きに、父母は怒った。しかし、こうした動きを受けて、県内一三の学校でしか実施されていなかったフッ素洗口や塗布が他の小・中学校にも飛び火し、急速に広がる動きが出てきた。
 フッ素による予防を推進してきた世界保健機関(WHO)でさえ、どんな使い方をしても斑状歯なしに虫歯予防はできないとし、「六歳以下の子どもへのフッ素洗口は禁忌」という新しい見解をすでに九四年に出している。(注2)
 本稿では、フッ素塗布、フッ素洗口、フッ素入り歯磨から水道水フッ素化へと拡大
する一方のフッ素による虫歯予防の問題点を、社会医学の立場から問題指摘してみたい。

フッ素予防による混乱

 これまでもフッ素による虫歯予防でいろいろなトラブルが起きている。実際、私が知っているだけでも、沖縄から北海道まで三〇県以上に及ぶ。そのほとんどが歯科医の言うことをうのみにしない父母・養護教員への攻撃である。効果と安全性がきちんと説明され、同意が得られているなら父母や教員からそう反対されることはないはずである。フッ素推進派の歯科医は「親に説明し、やりたい人がやっている」という。しかし、そこには目的のためには手段を選ばない推進派歯科医の誤った情報による同意のとりかたが問題点として浮び上がってくる。まず、実際の現場での例をいくつか紹介する。

▼静岡県函南町(かんなみちょう)では九三年から、神奈川歯科大学の協力のもと、フッ素洗口を一小学校と六幼稚園で実施している。ある母親は「同意しなかったら、幼稚園のやることに逆らう人はいなかったとあからさまに不快感を示され、強制力を感じている」という。函南町が出す同意書には、WHO、文部省など七団体が推奨しているなどと事実と違うことが書かれているばかりか、すでにフッ素塗布やフッ素入り歯磨きをを使用している子どもにもフッ素洗口を勧めるなどリスクへの配慮がまったくない。

▼宮城県の北上町は虫歯罹患率が県内でトップであることから、東北大学予防歯科からフッ素洗口を勧められた。町内の保育所では全員の名前と虫歯の本数、処置歯数を書いたプリントが保護者に配付された。父母たちは「名前と虫歯の本数まで知られたのでは、フッ素は拒否できない」という。

▼九四年一〇月、沖縄の南端にある石垣島(八重山)の小学校に福岡歯科大予防歯科から、一年生と六年生の歯を詳細に健診したいという協力依頼が届いた。九一年よりフッ素洗口をしている沖縄本島に近い久米島の結果と比較するのが目的で、結果が良好なら八重山でもフッ素洗口を、というものであった。これは疫学でいう介入研究である。こうした実験は、まず最初に比較する学校も決めて行なわなければ意味がない。しかし、比較実験であることを告げると、安全性を危惧する声も出てきて同意を得るのは難しい。
 この申し入れに人体実験的臭いを感じとった養護教員は健診とフッ素洗口に反対し、推進派歯科医との間で論争が続いている。歯科医は「八重山の子供の虫歯は沖縄県でもワーストワン、……子供たちの健康を預る学校歯科医……としては恥ずべき事実……」(『八重山毎日新聞』九七年六月八日付)と指摘、養護教員は「ワーストワンの地域の学校と比較して(久米島の子どもたちの)虫歯が減ったと言うのは誤り。それをテコに八重山でもフッ素を開始させるのは間違っている」と反論する。
 学校では「なぜ、洗口しないの、すればいいのに」と教員の声かけや、洗口しない子どもは教室でじっと待つのだが、状況はサラシ者の感を免れないという。

▼東京の荒川区では三〇年近くフッ素塗布がされている。九二年のう歯予防対策委託事業実施要領には、延べ一二万人にフッ素塗布した。”数値では表せないが、効果はあったと確信する。二次的効果として正しい歯磨きなどの一助となった”と報告されている。
 その荒川区で昨年九月、全国に先駆けて、総理大臣、厚生大臣、都知事宛ての「虫歯予防に有効なフッ素の活用と、水道水フッ素化の普及・推進に対する意見書(案)」が出された(公明党荒川区議会議員団提出)。これを知った女性区議がフッ素の危険性に関する資料を他の議員に配ったところ、議会には上程されなかった。この意見書は日本歯科医学会のフッ素化物検討部会の中間答申を引用して書かれたことになっている。しかし、編集部が日本歯科医学会から受けとった中間答申には、水道水フッ素化は「実状に即した情報が充分に整っていないため、今後の検討課題である」と結論を先送りしている。にもかかわらずこうした推進の動きとしてでてきたことは水道水フッ素化を急ぐあまり突出した推進派歯科医が政治的に動いたものとしか考えられない。
 さて、いくつか事例を紹介したが、ここに共通するのは、インフォームド コンセント(説明と同意)がとれているというが、実態は集団による強制力を利用した前近代的公衆衛生の手法ということである。

古典的公衆衛生からの脱却を

 フッ素洗口や塗布、水道水だけでない。アメリカのフッ素入り歯磨きには「六歳以下の子どもの手の届かないところにおきなさい。通常量以上を飲み込んだ場合は毒性センターか医師に相談しなさい」という警告表示が義務付けられている。それも最初の部分は太文字で書かねばならない。アメリカではこの表示がされた九七年に一万二〇〇〇件の飲み込み事故が毒性センターに寄せられている。
 アメリカで売られている「アクアフレッシュ」や「コルゲート」には警告表示があるが日本ではない。それどころかフッ素はよいものというコマーシャルが流され続けている。これは典型的なダブルスタンダード(二重基準)で、フッ素に対する安全対策の立ち後れた日本の法的弱点を利用したものだ。日本の多くの親たちは警告表示を知らずフッ素入り歯磨きを使っている。
 昨年一一月一日付で出された日本歯科医学会フッ化物検討部会の最終答申は、フッ化物応用の「推奨」をうたい、水道水へのフッ素添加を「今後の検討課題」とした。中間答申が出されたころから、マスコミにもフッ素推進の報道が目立つ。主なところでは「毎日新聞(99年6月7日付け)が「治療」より「予防」が先決」と題して水道水フッ素化を勧め、「読売新聞」が9月4日付けで「虫歯予防に有効なフッ素水道」とフッ素水道水化の社説を掲載した。フッ素を不特定多数の人が飲む水道水にまで添加すべきと、社会的影響力の強いマスコミが、なぜ論陣を張ったのであろうか。フッ素予防の効用しか見ようとしない推進派に動かされたとしか考えられない。推進派は「個人の予防では虫歯が減らない、公衆衛生的対策で幼稚園、保育所、学校、そして水道水フッ素化をすべきだ」と集団予防に固執している。(注4)
 益と害を天秤にかけることも止むなしとされた時代の古典的公衆衛生への反省から伝染病予防法が感染症予防法になり、その前文に人権の尊重や行政の公正透明化を盛り込まざるをえなくなったのだ。フッ素予防は病気以前の予防の話である。まず、害がないことが求められる。虫歯は感染症ではあるが伝染病ではない。そしてフッ素による予防をしなくても現在、虫歯は減少し続けている。今回持ち上がった水道水へのフッ素添加は不特定多数の人たち、すでに歯のなくなった老人もいればフッ素の危険性にさらされる透析患者もいる。こうした人たちがすべて納得できる緊急性と必要性、そしてそれに見合った効果があるということが必要条件になる。そしてもう一つ、フッ素による予防は保護者が期待しているような高い予防効果のある方法ではないことと、砂糖や菌をコントロールする方法でないため、永久に使い続けなくてはならないという欠陥を持つ。まさにその限界が見えた方法なのである。(注5)
(週間金曜日2月18日号に掲載されたものを転載しました)

【注1】「すこやかさがっ子ゼロ作戦」
「ゼロ作戦」が成功した天然痘は多くのワクチンによる犠牲者の上に達成された。しかし、その後、世界中の人たちが天然痘に免疫を持たなくなっていることから、天然痘ウイルスを保管する国は強力な生物兵器を持ったことになったと指摘されている。こうした生物皆殺し作戦(ゼロ作戦)は利用の仕方によって武器にも使えることから反省期に入っている。また、このスローガンは根底に病人への差別が存在している。虫歯の子どもはスローガン達成に困った存在になり、集団の中からはじき出される恐れがある。また、フッ素作戦に非協力的な人間も同様である。

【注2】「WHOの新しい見解」
 WHOは六歳以下へのフッ素洗口を禁忌(contraindicate)と大変強い禁止としているが、推進派は「推奨されない」という訳を使っているため混乱が起きている。また、推進派の歯科医は虫歯はだめだが、害作用としての斑状歯は審美的に問題ないと肯定的にとらえる。都合の良い解釈であるが、審美上のことはフッ素症になった本人が決めることで、歯科医が決めることではない。

【注3】「文部省の見解」
 文部省はフッ化物利用について「学校は行動様式を身につけさせ、健康の自己管理が出来るように教育するところ。公衆衛生として必要なら、厚生省が保健所でやるだろう(学校健康教育課)」としている。

【注4】「推進派歯科医」
 彼らは虫歯が減ることに対し、厚生省の前歯科保健課長が「七万人の歯科医の生活を脅かす公衆衛生的なフッ素の普及は勧めない」という発言をとらえ、国民を無視した政策と批判を展開する。一方で、一般の歯科医に向けて「アメリカでは、むし歯予防に成功するにしたがって、期せずして地域住民との高度の信頼関係が樹立され、歯科医師の社会的な地位の向上がもたらされ、その結果、歯科医療に対する需要は増し、歯科医師の収入は大幅に増加した」(飯塚 喜一ほか「これからのむし歯予防 〜わかりやすいフッ素の応用とひろめかた〜」学健書院、一九九三年)とフッ素による社会的成功と収入増加を紹介する。しかし、ある歯科医は、現に、患者の減少で不法な保険診療請求で逮捕者でるような時代に無理な説得という。予防歯科を中心にしたフッ素推進派歯科医と他の歯科医との組織内矛盾の整理もこのさい必要であろう。

【注5】
 フッ素の見直しはフッ素予防発祥の地アメリカでも起きている。水道水中のフッ素で三〇%以上の斑状歯が起きていることから、添加量の基準を下げるべきと言う報告や、アメリカの環境保護庁(EPA)の研究者たちは人体への毒性だけでなく、生活排水として圧倒的に多くの水が環境に流され、そこに含まれるフッ素が深刻な影響を環境に引き起こす可能性を指摘している。九三年、ニュージャージ州の下院院議員ジョン・V・ケリーは予防に使われるフッ素化合物が食品医薬品局(FDA)によって正式に効果や安全性が検討され、薬として承認されたものでないことをFDAに認めさせた。未承認の薬品が今も使われる、まさに、古き時代の公衆衛生を清算できないアメリカの姿がある。しかし、アメリカは清算に向けて大きく舵とり旋回させる動きを見せている。

表1.3歳児1人平均う歯数の年次推移

1989

1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997
総数  3.90 2.82 2.73 2.60 2.42 2.36 2.16 1.99 1.91
都道府県 3.12 3.02 2.94 2.80 2.58 2.56 2.34 2.18 2.07
政令市 2.31 2.25 2.11 2.06 1.96 1.80 1.65 1.46 1.50
佐賀県 5.49 4.94 4.72 4.50 4.23 3.95 3.62

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