厚生省と環境庁は6月にダイオキシンの一日摂取耐容量を体重1キロ当たり4ピコグラムと決めました。アメリカでの赤毛ザルで子宮内膜症ができたという実験は「試験の信頼性が不十分」として切り捨てられました。この実験を採用すると一日摂取耐容量が1ピコグラムになり、多くの食品がこの基準を超えてしまうのです。
厚生省はこの赤毛ザルの実験を検討するために研究班を組織し800万円の予算を付け、この論文の問題点をチェックしていたことはすでにお知らせしました。
1997年、研究班は「子宮内膜症等に及ぼすダイオキシンの評価に関する研究班研究報告書」を出しています。表紙も入れて約40ページのものです。この報告書の中に「厚生省から、Rierの実験内容に関し、問題点等を公式に質問したものの、その質問に対する返答は得られていない」と記載されています。これを読んだ人は「疑問に返事ができないのは論文に問題があったからに違いない」と思ったに違いありません。
そこで、今回は厚生省が正式に出したというこの質問を掲載しました。そして、この手紙に返事を書かない方が悪いのか、それともこんな手紙をもらったら返事なんか書けないと思われるか、皆さんのご意見をお聞かせ願いたいのです。
このサルの実験は我々の未来にたいしての大きな警告実験でもあるからです。
論文が学術誌に掲載されるまでの仕組みをお知らせしましょう。それを知った上でこの手紙が厚生省からアメリカの研究者に出されたことについて皆様のご意見をお聞きしたいのです。
研究者は新しい仮説を証明するためにいろいろな方法で実験や調査を行います。そして、自分が専門とする分野の学会や研究会が発行する学術誌に論文を投稿します。投稿された論文はそのまますぐに掲載されることはありません。論文の内容がチェックされます。学術誌には査読委員に指名された研究者がいます。査読委員は割り当てられた論文を読んで疑問点や問題点をチェックします。査読委員は著者に面と向かって言いにくいことも指摘しますからあとあと問題が起きないように原則匿名になっています。そして、指摘された内容が著者に伝えられます。著者は疑問や問題点について答え、直す部分は加筆訂正します。証明が足りない部分については実験し直したり調べ直したりもします。普通はこうしたやりとりの後で掲載されます。しかし、何回もやりとりし最後には掲載されないこともあります。
論文が発表されると多くの人が読みます。そして、疑問や問題点があれば編集委員会に問い合せます。編集委員はその指摘に回答したり、論文を発表した研究者に問い合せをしたり、学術誌に論点を掲載し多くの人が議論に参加できるようにもします。これも、新しい事実を科学的に正しい事実として皆で共有するためのシステムです。
著者に個人的に質問する人もいますが私信扱いになってしまいます。今回のように厚生省の役人が公式な質問ですと書いても学術的には私信です。
事実に関係することですから私信だってかまわないこともありますが、どんな内容が議論されてどんな事実が確認されたのか他の人に分らないので問題になります。こうした問題を防ぐためにも編集委員会が間に入ります。すでに解決している問題だとか、議論がエスカレートして相手を誹謗中傷したりすることも防ぐことができます。
厚生省の質問が編集委員会に出されたなら、内容が検討され著者らに質問が回されたはずです。そして正当な理由もなく回答がなかったとしたら編集委員会もは別な方法を取ったと思います。質問が無視されれば学術誌としての権威も失墜しかねませんから、きちんと対応します。それでも無視すれば論文そのものが取り消されることだってあるでしょう。こうなると研究者生命が断たれますから大変です。研究者もきちんと返事もするはずです。こうした手続を経ていればいいのです。しかし、厚生省がとった方法は研究班までつくりながらまったく一般的なルールと違ったやり方(私信)だったのです。内容も研究者に反感を持たせる可能性があります。
例えば「この手術及び診断作業に加わった方々についての詳細な情報をご提供頂けますでしょうか。すなわち、幾人の方々がこの作業に加わったのか、またこの方々がそれぞれ持つ資格や経験の有無についてなどです」などは反感をもたれた可能性があります。
厚生省の誤りは一般的なルールでの問い合わせをしないで、それに返事がないからと実験そのものを切り捨ててしまったことにあります。この手紙をもらった研究者になぜ返事を書かなかったか聞けばもっと明確なことがわかると思います。(その作業の前に皆さんに厚生省の手紙を読んでいただこうというのです。いろいろな意見があると思うからです)
この実験はサルを15年以上飼っている実験です。子宮内膜症はサルかヒトにしか発病しない病気です。もう一度実験をやり直すといっても莫大なお金と時間がかかります。ですからこの赤毛ザルの実験を慎重にかつ有効に利用する以外にないのです。でも、日本政府は簡単に切り捨てました。疑問は消えていませんから日本でもサルを飼って再確認しなければだめです。もし、被害が人間に及んだらその罪は許されるものではありません。
「2,3,7,8-四塩化ダイベンゾダイオキシンへの慢性曝露後のアカゲザルにおける子宮内膜症」(Fundamental
and Applied Toxicology 21:433-441(1993)掲載)について
Dr. Sherry E. Rier Dr. Robert E. Bowman
拝啓
貴殿らが発表された上記の雑誌掲載論文に関しまして、日本の厚生省からいくつか質問事項がございます。ご多忙の中大変恐縮ですが、ぜひご返答をいただけますよう、お願い申し上げます。またご質問させていただいた事項以外にも、関連分野におけるご意見などございましたら、併せてお送りくだいさますようお願い申し上げます。尚、本質問状は厚生省の正式な要請文書であることにご留意頂ければ幸いです。ご返答頂いた内容及び頂いたご意見は、厚生省におけるリスク・アセスメント及びダイオキシン管理検討の場において非常に重要な情報となりますことをご理解下さい。
背景
厚生省ではダイオキシン排出量(特に焼却炉からの排出量)の削減を目指し、これまでたゆみない努力を重ねて参りました。その一環として厚生省生活衛生局生活化学安全対策室の管轄下に設置されたダイオキシンのリスク・アセスメントに関する研究班では、全国規模の調査研究を行いながら、ダイオキシンのリスクに関する研究・検討を進めて参りました。昨年6月、同研究班では研究結果の中間報告を発表しておりますが、その中で一日摂取耐容量(TDI)として体重1キログラム当り10ピコグラム/日を提案しております。
現在、本研究班では、この昨年6月の中間報告以降に発表されているダイオキシン関連の様々な研究報告についての情報を収集しているところです。また同時に、日本の国会議員数名および関心のあるNGO関係者の方々から、1993年に貴殿らの発表されたアカゲザルの子宮内膜症に関する研究報告を採用し、このデータに基づいてTDIの見直しを行うべきである、との意見が厚生省に寄せられております。同研究班では以前既にこの研究報告を取り上げており、その内容を検討した結果、リスク・アセスメントの際に根拠とするデータとしての採用を一度は見送っているのですが、この件につきましては再度、詳細な検討が必要であると考えております。今回、貴殿らからご提供頂く新たな情報が、この再検討にあたって非常に重要なものとなることをぜひご理解下さい。
我々は、この研究には強みと弱みがある、という貴殿らの考え方に非常に興味を持っております。米国立健康研究所(National
Institute of Health)が本研究への出資を止めた、とも聞いておりますが、その具体的な理由については承知しておりません。我々はこの研究に特に留意すべき弱点があるのかどうかについてももちろん興味を持っておりますが、同時に、こうした点を補完する、あるいは強化することができるような新たな情報を貴殿らが得られているのかどうかについても、非常に興味を持っております。本研究の強弱面などについて、新たなコメントなどございましたら、ぜひ情報をご提供下さいますよう、お願い申し上げます。
質問事項
1.4年間のダイオキシン曝露終了後のアカゲザルの、その後10年間の観察飼育期間における、飼育条件、飼育環境などについての情報をご提供下さい。住環境、食餌法、衛生状態、などに興味があります。
2.本研究において最終的に残っていたアカゲザルが、未だに継続して観察飼育されているのかどうか不明です。1993年に行われた子宮内膜症発生の有無を調べる生体観察では17匹のアカゲザルが観察対象となっているようですが;これらのサルの現在の状態は? 最終的にこれらのサルの寿命までこの頭数の維持・観察を続ける予定ですか?もしこの頭数での観察を継続していないのならばその理由は? 研究報告の発表後に死亡したサルがいるのならば、これまでと同様の観察項目に渡って行われたであろうそれらのサルの解剖報告は公表されているのでしょうか?
3.助成申請のためにNIH(米国立健康研究所)に提出された本研究の研究計画書原案のコピーを我々が入手することは可能でしょうか?また、その後研究期間中にその内容の変更などが行われていた場合には、その計画変更書などについてもコピー入手を希望します。
4.本研究における子宮内膜症の発生診断の正確性について、お考えをお聞かせていただければ幸いです。研究報告では子宮内膜症の発生とダイオキシン被曝量とは比例関係を示している、と結論されておりますが、5pptの被曝群における発生率は、重症度を考慮に入れない限り、コントロール群と有意差があるとは結論できない数値ではないでしょうか。5ppt
被曝群を観察するにあたって重症度は非常に重要な要素となるものであることから、観察における客観性をどのようにして確保したのか、について非常に興味があります。「アカゲサルの手術はランダムな順序で、また、そのサルがどの実験群に属していたサルかはわからない状態にして行った」と報告されており、「子宮内膜症の有無及び進行度合いは、ヒトにおける基準に従って(3つの診断システムを用いて)診断された」とされていますが、この手術及び診断作業に加わった方々についての詳細な情報をご提供頂けますでしょうか。すなわち、幾人の方々がこの作業に加わったのか、またこの方々がそれぞれ持つ資格や経験の有無について、などです。また同時に、これらの診断評価内容について、その場でもしくはその後解剖時の写真など用いて、何らかの「同等の資格保持者による再確認作業」は行われたのでしょうか?
5.実験対象となったアカゲザルの背景の子宮内膜症発生状況などについて、更に詳細な情報などありましたら、ぜひお教え下さい。アカゲザルにおける子宮内膜症の発生度合いは群れによって違い、ここには遺伝的な要因も影響している可能性があると、我々は認識しています。本研究報告では研究室で飼育しているアカゲザルに自然発生的な子宮内膜症の発病が観察されていると報告されておりますが、上記のような理由から、コントロール群および曝露群のサルの、もともといた群れにおける子宮内膜症発生率などの背景の情報も求めるものです。
また、子宮内膜症の発生頻度および進行度合いはサルの年齢だけではなく、腹腔鏡検査歴や、帝王切開歴、子宮切開術歴などに影響される、と我々は理解しております。このため、本研究の対象となったそれぞれのサルについて、その過去の病歴などの情報を求めるものです。コントロール群と曝露群との間に、背景の相違などがなかったということを明確に証明することができるような、こうした情報をご提供頂けないでしょうか。
本研究報告の執筆には他にも数名の研究者の方々が携わっておられましたが、代表執筆者及びアカゲザルが飼育されていた研究室の室長であるお二人にご質問させていただくのがふさわしいのではないか、と判断いたしまして、不躾ながらお手紙を差し上げた次第です。できましたらお二人の連名の形で一括でのご返答を希望いたしますが、ご無理なようでしたら別々にお返事を頂いても差し支えありません。
尚、黒川雄二博士(ダイオキシンのリスク・アセスメントに関する研究班班長・国立医薬品食品衛生研究所安全性生物試験研究センター長)及び、井上達博士(研究班内の子宮内膜症に関する小委員会座長・国立医薬品食品衛生研究所安全性生物試験研究センター毒性部長)が、上記要請いたしました情報の入手を希望しております。
早急のご返答をお待ち申し上げております。厚生省ではこの件につきまして1ヶ月以内にも次なる進展を予定しておりますが、それまでにこれらの情報をお送りいただけますならば、幸甚に存じます。多岐にわたる質問にも関わりませず、期日に余裕がありませんことを深くお詫び申し上げます。以上、どうぞよろしくお願いいたします。
敬具
うちだ こうさく
日本厚生省生活衛生局生活化学安全対策室室長
1997年3月28日
(訳:広瀬珠子)
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